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素晴らしい!

内閣や日本の将来を考えていたら気がめいってしまった
しかし、視点を変えて見てみると素晴らしい活躍、いや行動をされた方が居ることに
改めて人間の素晴らしさを感じることもできました。
(記事引用で申し訳ない...)

ダンプ疾走、30人救う 仙台・蒲生で土建業の男性ら
河北新報 4月6日(水)14時31分配信

 仙台市宮城野区蒲生地区で震災発生時、地元の土建業の男性が、住民ら30人余りをダンプカーで運び、救助していた。会社周辺と避難所の中野小を往復しているうちに津波は背後まで迫ったが、必死の運転でJR中野栄駅付近に逃れることができた。救助された住民は「ダンプに乗せてもらえなかったら、確実に津波にのまれていた」と感謝している。
 男性は泉区の土建業小野喜満さん(41)。実家と会社は蒲生地区にあり、3月11日は会社近くの現場で作業中に地震に遭い、大津波警報のサイレンを聞いた。
 すぐに路上にいた高齢者らを2トンダンプの荷台に乗せ、南西に約500メートル離れた中野小に搬送。おいの小野亮輔さん(22)ら若い住民の力も借りて、2往復で約10人を学校へ送り届けた。
 もう1往復しようと、会社付近に戻ったころ、津波が蒲生干潟の方から防波堤を越えて来た。周辺の家屋は次々と崩れ、中野小に向かう道も刻々と水位が上がっていた。
 小野さんは通れる道を選び、無我夢中でハンドルを操作。津波に追われながら、知り合いの高齢者や路肩を走って逃げていた配送会社の従業員13人を荷台に乗せ、西側に向かった。
 中野栄駅近くで歩道橋が見えると、ダンプを乗り捨て、全員で駆け上がった。津波はぎりぎりまで迫って、徐々に引いていった。
 歩道橋で水位が下がるのを待つ間、雪が降ってきた。小野さんは寒さの中でも、「生きている」と実感したという。
 小野さんの知り合いで一緒に歩道橋に上り、難を逃れた主婦小野安子さん(69)は「喜満さんが来てくれなかったら死んでいた。感謝しきれない」と語る。
 小野喜満さんの家族は無事だったが、実家と会社は津波に流された。ほぼ毎日、仕事の再開を目指して道具の回収などに蒲生を訪れるが、「人を救えたのは良かったけど、蒲生に来るたび、もっと助けられなかったのか、と考えてしまう」と話している。(亀山貴裕)

相馬署巡査2人、決死の避難誘導 迫る濁流、間一髪
 すべてをのみ込んだ濁流はすぐそこに迫っていた。東日本大震災による津波に電車ごとのみ込まれた福島県新地町のJR新地駅。約40人の乗客の命を救ったのは、偶然乗り合わせた2人の巡査の連係プレーだった。

 あの日、新地駅に到着した常磐線の電車(4両)が激しく揺れた。次の駅で降りる予定だった福島県警相馬署の斎藤圭巡査(26)、吉村邦仁巡査(23)はすぐに車内にけが人がいないか確認して回った。

 「大津波警報が出た」。乗客の男性の悲鳴が聞こえた。海からは約600メートル、すぐに津波が来る。近くの新地駐在所に詰めている吉村巡査はとっさにそう判断。西に約1キロの高台に避難誘導することを提案した。

 「津波が来ます。安全な場所まで避難します」。吉村巡査を先頭に乗客が列をつくる。最後尾の斎藤巡査が足の悪い高齢女性に付き添い、高台へと歩き始めた。

 約10分後。列から離されていった斎藤巡査はすさまじい音に後ろを振り向いた。たった今歩いてきた道も、駅も見えない。代わりに見えたのは濁流にのみ込まれる民家と車だった。津波は200メートルほどに迫っていた。

 逃げるように走ってきた軽トラックを止め、付き添っていた女性を助手席に乗せ、自ら荷台に乗り込んだ。高台で吉村巡査と合流し、乗客全員の無事を確認したのは約30分後だった。

 27日に2人は地震後初めて新地駅があった場所を訪れた。4両は2両ずつ切り離され、1両はくの字に折れ曲がっていた。斎藤巡査は思わずつばをのみ込んだ。「少しでも判断が遅れていたら助からなかった」

2011/03/28 23:34 【共同通信】

東日本大震災 町内会長、軽トラで声かけ集落救う…宮古
 東日本大震災の津波で岩手県宮古市崎山の海辺にある通称「女遊戸(おなつぺ)」地区は、6割の住宅が流されるなどの被害を受けた。しかし当時集落にいた高齢者を中心に約70人の住民全員が助かった。町内会長でもある元学校用務員、前川正幸さん(66)が軽トラックを走らせ、声をかけて回った成果だった。

 前川さんは地震発生時、海岸から約400メートルの自宅に妻といた。激しい揺れに必死で耐えた。前夜に地域の津波対策会議を開いていたこともあり、「津波が来る」と直感した。外へ飛び出し、約200メートル海岸寄りの所に車椅子で暮らす7歳下の弟の家に軽トラックを走らせた。弟の車椅子を押して自宅に避難させた。その際、近所にも「津波が来るぞ。逃げろ」と声をかけて回った。

 前川さんは自宅からさらに引き返した。異変に気付いて海から約250メートルの市営アパートから避難しようとしていた高齢女性を、軽トラックに乗せて高台に運んだ。さらにこの女性の妹がつえを突いて避難してきたため、この女性も軽トラックに乗せて同様に運んだ。この時、津波の第1波が背後に迫るのが分かったという。

 住民が裏山に避難し終えた午後3時20分ごろ、最も大きな第2波が集落を襲った。前川さん宅は無事だったが、34戸のうち20戸が流されたり全半壊した。

 住民の男性は「町内会長が声かけしたお陰でみんなが助かった」と感謝した。前川さんは「住民全員が無事でほっとした」と、がれきで埋まった集落を見回した。【鬼山親芳】

市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校
 岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。

 海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。

 「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。

 親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。

 平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできるようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。

 11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。

 市教育委員会の山口清人次長は「こんな規模の津波が来ることは想定しておらず、本当に造っておいてよかった。平田さんは子供のことを大事に考える人でした」と話した。

 非常通路から避難した児童の中には、平田さんの3人の孫もいた。平田さんの長男、大輔さん(38)は「人の役に立った最後の仕事に父も満足していると思う。小学3年の息子にも、大きくなったら話してやりたい」と語った。(其山史晃)
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酒 :エビスビール、泡盛、ジン、テキーラ、ラム
趣味 :ネット徘徊
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